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ひび割れホワイトボード

サハーにおける真人間となるために四苦八苦しているプシュケー的主体はゲデの導きによりその構造領域を集合的無意識まで遡りアストラル光を媒体にSurfaceを通じて宇宙と繋がり内なる自己との対話を繰り返す無限の虚無を表記し続けるただの社会復帰日記

日記を書くということ

長らく下書きに入れたままだったのでいっそ公開してしまおうと思う。

日記を書いていると、なぜそんなことを?しかも手書きでとよく聞かれるのでそれについてである。

 

 しばらく仕事に忙殺されていたため、万年筆のインクの補充を放置していた。私が手書きの日記を書く場合はほとんど万年筆を使う。別に何かあるわけではないけれど、気に入ったペンとインクで気に入った紙に好き勝手書きたいからだ。日記を書き始めたきっかけは本当に気まぐれで、私は今の仕事が1年目にさしかかろうとしていたところだ。僅かな休日の自由な時間は出来るだけ外に出たかった。職場からすぐ近くに住んでいたこともあり、できるだけ遠くに丸一日いた。今思えばただでさえ疲れているのに何故そんなことをしていたのか不思議だ。今の自分なら、酷く疲れている状態で休みが一日あるなら完全オフで過ごし、少しリフレッシュするために近くに買い物や食事にいくくらいなのだが、その時は若かったのか怖かったのか、とにかく何もわかっていなかった。

 2時間ほど電車に乗って少し大きめの街に行き、読む暇もない本を選んでいた。その時たまたま日記帳が目に入った。中身は少し茶色く古ぼけたように見せるデザインで、羅線もなかった。どうせ本を買っても読む暇もない。それならこっちにしよう。と思い人生で初めて日記帳を購入。それがきっかけだった。

 家に帰り夜になると、翌日の仕事に対する不安に喰われそうになりながら、食事とともにアルコールを飲んだ。今の自分なら休日明けの仕事前にアルコールは絶対に取らない。体力が落ちた状態で出勤したくないからだ。本当にあの頃の自分は仕事が怖かったし嫌だったのだと思う。

 嫌だったのだと思う、というのはその時何を感じたかなどとっくに忘れているからだ。当然だろう。でも、日記をつけていると覚えている。最初の日記の1ページ目を開いてみた。少し読むのが辛くなるようなことが書いてある。私の職場ではパワハラがまかり通っており、私も被害を受けていた。いつまでたっても、何度やっても何故か私の提出する報告書は通らなかった。アレには参った。そのことについて(当時の私の中では仕事上のビッグトピックだった)不甲斐ないやら情けないやら手伝ってくれた人や相談した人に申し訳ないと謝っていた。うわぁ・・・これはひどい

 ちなみにこの書類の件は数日後に集結する。何故かは知らないが書類が通った。この件でヤラれたのは3ヶ月だったか始まりは半年前だったか、まあ今となってはどうでもいい。ちなみに書類の内容も本当にどうでもいいものだった。新人に仕事を覚えさせるために(何を覚えたのかはまったくわからないが)出した課題のようなものだったし、極めて無意味だった。話ができる上司曰く、通過儀礼のようなものらしい。つまり、くだらないものだった。

 この件より前から私のメンタルダウンは始まっていたが(私は弊社で盛大にダウンした。今も治療中ではある)、この時は大いに心を動かされた。書類を提出できた日の日記は無駄に上機嫌に書いていたが、翌日にはまた死ぬんじゃないかこいつと思えるほど暗くなっている。今思えば、とっくに危ない精神状態だったのだなと思える。

 ところで、私はどういうわけか他者とコミュニケーションをとるとき、取り繕うのが上手いらしい。無意識のうちに、自分が辛いとか困っているというのを極力外に出さないようにしていた。なので愚痴をいうことも出来なかった。何故か自分でストップをかけていたのだ。そのため、日記という誰にも見られず自分だけの自己対話は、自分自身を知るのにとても役に立つ。

 

 この癖は三日坊主の自分にしては不思議と続いた。誰に言うでもなく自由にやったのが良かったのかもしれない。嬉しかったことや楽しかったことをそのまま書き、怒られたことや嫌だったこと、悲しかったことをそのまま書き、自分なりの考えや気持ちを書く。自分の心の中だけにあった抽象的な感情が、具現化されて紙に落ちる。すると心の整理がつくようになった。

 結局私は仕事で精神的に倒れてしまったし、それに至るまでの日記は中々えらいものだ。もう一度やれといわれても絶対に嫌だ。だけど日記は治療にも役立った。何故自分は追い込まれたのか、何が自分を追い込んでしまったのか、変えられる点は何か、どうすればより良くなるか、と整理して考えることができた。これはカウンセラーにも指摘されたが、日記を利用して改善しているという意味で私自身の良い点らしい。

 必ずしも毎日書いているわけではない。めんどくさいと思う日もあるし、何日も書かない時もある。往々にしてそれはとてつもなく忙しくて疲れているか、充実しているかのどちらかの場合が多い。どちらにせよ、日記を書くことは私にとって精神的なバランシングに役立つことのようだ。