ひび割れホワイトボード

サハーにおける真人間となるために四苦八苦しているプシュケー的主体はゲデの導きによりその構造領域を集合的無意識まで遡りアストラル光を媒体にSurfaceを通じて宇宙と繋がり内なる自己との対話を繰り返す無限の虚無を表記し続けるただの社会復帰日記

読書記録 『台湾海峡、波高し』

積み本消化

台湾海峡、波高し

台湾海峡、波高し

 

 

 休暇で帰省すると、実家の本棚からいつも何かしらを読むのがルーチン。今回はずーっと積んでいた本を消化した。

 

 今となっては内容がいささか古く、あまり得るものはなかったなという印象。買った時にすぐ読むべきだった。

 ただ、台湾人のマインドを知る補強にはなったと感じる。ある程度は知っていたつもりではあったけど、2つの中国についてや台湾の戦争に関する国家戦略等など。そういえばそうだったなーと思い返しながら読んでいた。大学で学んでいたことを思い出せる。

 

 そして彼らは米国との同盟関係にない。これは特に我々日本の戦略を考察する際にも参考の一つになる。台湾にとっての最重要かつ最も警戒している紛争事案は中国(中国共産党の支配する大陸中国、便宜上、中国と称する)との紛争である。米中間の対立融和の密度に関わらず、彼らは有事となれば独力で戦わねばならない。最悪、諸外国からの(当てにしているのはもちろん米軍)軍事的支援はまったく得られない可能性がある。

 書籍では中国の攻撃に対しては上海空爆を対抗策の選択肢として持っている旨、書かれていた。これ自体は昔から変わらず抑止力の一つである。一方で、台湾にとって最も困ると書かれていたのは持久戦に持ち込まれること、つまり海上封鎖や低強度紛争による兵糧攻めである書籍内で語られていた。戦争と言うには大きすぎ、いわゆるグレーゾーンをギリギリはみ出すか否かの戦いを指す。

 このテーマは書籍とのタイムラグを感じるという意味でも非常に興味深い。現在の中国がとる戦術とはまさに台湾が嫌がっていたそれである。また、軍事力の技術的優位について、書籍が書かれた当時は技術的優位についてあきらかに台湾が優っていたが(例えば当時の中国はイージスシステムの開発中と書かれていた)現在ではそれの能力を持つと言われている旅洋(ルーヤン)-Ⅱ型がいる。中国の次世代戦闘機に台湾がどこまで対応できるかも未知数である。こうした環境の変化について、現在の台湾がどのような戦略を持ち、対応しようとしているのかを今後見ていきたい。

最近読んだ本 『あれか、これか 「本当の値打ち」を見抜くファイナンス理論入門』

 先日読み終えた本はこちら

あれか、これか――「本当の値打ち」を見抜くファイナンス理論入門

あれか、これか――「本当の値打ち」を見抜くファイナンス理論入門

 

 

なお、こちらのブログで紹介されていたので買ったものだ。 

oreno-yuigon.hatenablog.com

 

 今まで、経理分野では(仕事でお金も扱うのと個人的な趣味で)簿記、会計の方ばかりやっていたのでバランスをとるために購入した。というのも現時点でファイナンスは私の仕事とあまり関係がなく、むしろ個人的な資産運用の域でしかなかった。その運用法も私自身のお金管理の甘さからあまり進まず、目下余剰資金を低リスクの商品にぶち込んでいる程度(本当に低リスクだけど貯金よりまあマシくらい)。

 もう少し体系的にファイナンスというものを学んでもいいかなと思い始めていた時期でも会った。ちょうど2、3ヶ月前に退職した50代の先輩がファイナンス関係のところに転職した話を聞いたのも一助となったであろう。その方とは資産のライフプランについて深く話し合えた。

 

 資産運用についてはいくつも本があり、少しは目を通しているのでまあわからないでもないと思っている。ポートフォリオアセットアロケーション、確定搬出年金にNISA。あーはいはいまあわかるようんうん。といった程度。

 ただ、これは個人的な趣味だろうけど理論をしりたい。体系的に学んでみたい。だいたいそれはつまみ食いに終わるのだけど、趣味の読書なんだしいいじゃないか。それが実生活に役立てばさらにいいじゃないか。という意味合いが強い。

 

 何が言いたいのかというと、こういった曖昧かつ適当な動機でもそれなりに学ぶことができる本であったということ。実家に帰る新幹線の中で一気に読みきれた。それに経済・金融の理論というのは面白い。へー今はこういうのがあるのか、ハイリスクハイリターンってのは理論であったのか等々、知識欲が満たされていく。

 

 先に紹介したブログはいくつもこれに続く本を紹介していたので、また続けて読んで行く予定。

 

 

ブラック幇助をした話

先日、とても気持ちが悪い仕事をした。

 

今の部署に来て僕はまだ日が浅く、慣れない仕事や環境にまだ四苦八苦している。私は田舎の低所得者層の生まれなので、労働者の権利やそういった問題には結構敏感だったりする。

残念ながら私の勤め先はブラックだ。完全な違法というわけではないがかなり無理をさせる。マネジメントという観点では崩壊している。そしてそれが長らく(何十年何千人という規模で)続けられている。今回、私はついにその幇助をすることとなった。

 

今まで私は関わることが無かったのだが、職場の人たちの勤務時間管理が新しく業務に含まれることとなった。何てことはない。タイムカードの管理。有給申請の管理。残業時間の管理。残業代申請。

残業代申請。これも私が行うこととなった。私の課内で残業した人の時間を管理し、それに沿って残業代を申請する。

さて、その残業代だが、どういうわけだか全額支給はされない。残業代の支給率という謎の連絡が私のところにきて、それに応じた残業代が本人に支給されるとのことだ。

 

ちなみに私の残業代の管理はもっと上の上司が行っている。おどろくほど少ない。

この仕事は、とても悲しかった。たかだか数人の残業代管理に午前中を費やした。初めてやる仕事だったからではなく、純粋に気持ちが悪くなった。あぁ・・・ついに私もこういったことに加担してしまったのだな・・・。と思う気持ちが強かった。

 

正直な所、今まで自分の処遇に黙っていただけでも十分加担しているはずだ。それでも今回の件は堪えた。毎月これを行うのかと思うと気が重い。今日も彼らは私に残業時間の申請をして来てくれた。「いやー不味いわすごい立て込んできちゃった悪いねー」なんて言いながら。

悪いのはこっちだ。本当に申し訳なく思う。

日記を書くということ

長らく下書きに入れたままだったのでいっそ公開してしまおうと思う。

日記を書いていると、なぜそんなことを?しかも手書きでとよく聞かれるのでそれについてである。

 

 しばらく仕事に忙殺されていたため、万年筆のインクの補充を放置していた。私が手書きの日記を書く場合はほとんど万年筆を使う。別に何かあるわけではないけれど、気に入ったペンとインクで気に入った紙に好き勝手書きたいからだ。日記を書き始めたきっかけは本当に気まぐれで、私は今の仕事が1年目にさしかかろうとしていたところだ。僅かな休日の自由な時間は出来るだけ外に出たかった。職場からすぐ近くに住んでいたこともあり、できるだけ遠くに丸一日いた。今思えばただでさえ疲れているのに何故そんなことをしていたのか不思議だ。今の自分なら、酷く疲れている状態で休みが一日あるなら完全オフで過ごし、少しリフレッシュするために近くに買い物や食事にいくくらいなのだが、その時は若かったのか怖かったのか、とにかく何もわかっていなかった。

 2時間ほど電車に乗って少し大きめの街に行き、読む暇もない本を選んでいた。その時たまたま日記帳が目に入った。中身は少し茶色く古ぼけたように見せるデザインで、羅線もなかった。どうせ本を買っても読む暇もない。それならこっちにしよう。と思い人生で初めて日記帳を購入。それがきっかけだった。

 家に帰り夜になると、翌日の仕事に対する不安に喰われそうになりながら、食事とともにアルコールを飲んだ。今の自分なら休日明けの仕事前にアルコールは絶対に取らない。体力が落ちた状態で出勤したくないからだ。本当にあの頃の自分は仕事が怖かったし嫌だったのだと思う。

 嫌だったのだと思う、というのはその時何を感じたかなどとっくに忘れているからだ。当然だろう。でも、日記をつけていると覚えている。最初の日記の1ページ目を開いてみた。少し読むのが辛くなるようなことが書いてある。私の職場ではパワハラがまかり通っており、私も被害を受けていた。いつまでたっても、何度やっても何故か私の提出する報告書は通らなかった。アレには参った。そのことについて(当時の私の中では仕事上のビッグトピックだった)不甲斐ないやら情けないやら手伝ってくれた人や相談した人に申し訳ないと謝っていた。うわぁ・・・これはひどい

 ちなみにこの書類の件は数日後に集結する。何故かは知らないが書類が通った。この件でヤラれたのは3ヶ月だったか始まりは半年前だったか、まあ今となってはどうでもいい。ちなみに書類の内容も本当にどうでもいいものだった。新人に仕事を覚えさせるために(何を覚えたのかはまったくわからないが)出した課題のようなものだったし、極めて無意味だった。話ができる上司曰く、通過儀礼のようなものらしい。つまり、くだらないものだった。

 この件より前から私のメンタルダウンは始まっていたが(私は弊社で盛大にダウンした。今も治療中ではある)、この時は大いに心を動かされた。書類を提出できた日の日記は無駄に上機嫌に書いていたが、翌日にはまた死ぬんじゃないかこいつと思えるほど暗くなっている。今思えば、とっくに危ない精神状態だったのだなと思える。

 ところで、私はどういうわけか他者とコミュニケーションをとるとき、取り繕うのが上手いらしい。無意識のうちに、自分が辛いとか困っているというのを極力外に出さないようにしていた。なので愚痴をいうことも出来なかった。何故か自分でストップをかけていたのだ。そのため、日記という誰にも見られず自分だけの自己対話は、自分自身を知るのにとても役に立つ。

 

 この癖は三日坊主の自分にしては不思議と続いた。誰に言うでもなく自由にやったのが良かったのかもしれない。嬉しかったことや楽しかったことをそのまま書き、怒られたことや嫌だったこと、悲しかったことをそのまま書き、自分なりの考えや気持ちを書く。自分の心の中だけにあった抽象的な感情が、具現化されて紙に落ちる。すると心の整理がつくようになった。

 結局私は仕事で精神的に倒れてしまったし、それに至るまでの日記は中々えらいものだ。もう一度やれといわれても絶対に嫌だ。だけど日記は治療にも役立った。何故自分は追い込まれたのか、何が自分を追い込んでしまったのか、変えられる点は何か、どうすればより良くなるか、と整理して考えることができた。これはカウンセラーにも指摘されたが、日記を利用して改善しているという意味で私自身の良い点らしい。

 必ずしも毎日書いているわけではない。めんどくさいと思う日もあるし、何日も書かない時もある。往々にしてそれはとてつもなく忙しくて疲れているか、充実しているかのどちらかの場合が多い。どちらにせよ、日記を書くことは私にとって精神的なバランシングに役立つことのようだ。 

料理というすごく楽しい仕事

 趣味が料理です。週末に何かしら自分で食事を作るのが楽しい。長らく人に言える趣味が無かった自分だが(ゲーセン巡り&ゲーム、特に音ゲー、あとはアニメとかそんなのばっかりだった)、ここ最近楽しんでいるなぁとしみじみ感じる。

 

 料理は、その完成のための材料はほぼ隔日に揃っており(又は代用品があり)、完成までの工程及びそのイメージや考えうるクリティカルパス全てを自分で管理でき、かつその工程を実行し、完成したことに対する達成感、そして食べて美味しい。こんな仕事ばっかりだったらさぞ楽しいだろうなぁ・・・。

 

 後片付けが面倒という人をよく聞くが、私は結構好きだったり。掃除や洗濯など、面倒と感じる時は確かにあるけども、何かを綺麗にするという行為はやったあとにある程度の達成感があるはず。特に自分に関係することなら。面倒と思うのは、自分と関係ない(と個人的に思っている)ことで掃除や洗い物をさせられたことがあるからじゃないかなぁ?小学校の掃除時間や子供の頃に母に言われてやった洗い物、わかってはいるけど何で自分が、と感じていたのもやはり事実。

 

 今回の休日は味玉、鶏むね肉とささみの照り焼き、大根と豆腐の味噌汁。味玉は少しタレのレシピを変えたらとてもよい味がついた。自分で作った物でこれは本当にとびきり美味しいと思えたの久しぶりな気がする。照り焼きはまだタレに漬けているのが大量に・・・これどう消費すればいいんだ?

 平日の食事は三食ともかなり機能的な食事なので、料理して食べるのは休日のみ。基本的に余らせないようにしているけど、今回はちと怪しい。

 なお、先週先々週に何を作ったかはかなりうろ覚え。魚を何かしたような・・・やはり記録がないとダメな脳のようで。