ひび割れホワイトボード

サハーにおける真人間となるために四苦八苦しているプシュケー的主体はゲデの導きによりその構造領域を集合的無意識まで遡りアストラル光を媒体にSurfaceを通じて宇宙と繋がり内なる自己との対話を繰り返す無限の虚無を表記し続けるただの社会復帰日記

神が阻む休日出勤により救われた話

 この土日のどちらかもしくは両方は潰れるだろう、と金曜日には考えていた。ちょっとばかり仕事が不味くなってきたからだ。ところが豪雪により出勤したくてもできなくなった。あまつさえ、土曜は友人に誘われ雪見温泉。日曜は雪かきと引きこもり。温泉行ってないで職場に送ってもらえというのは無しで。豪雪により物理的に外に出られないと友人に言った所、何故か温泉になっただけなんだこれは神のお導きなんだ主よ感謝します。

 

結果的に健全な精神を保つことができた

 災い転じてなんとやら。金曜夜、悪すぎる見通しに絶望を感じささくれだっていた心は平穏を取り戻した。友人と出かけ仕事の愚痴を言い合い食事をしただけだ。問題が解決したわけでもないのに、その目処も立っていないのに、人間とはかくも愚かな生き物か。主の偉大さをここでも感じられる。手書きの日記には主の導きにより平穏を取り戻すことが出来たと書いた。

 

気持ちの変化こそ日記で記録すべき

 自分の気持を覚えておくことは難しい。何月何日の何時にどこにいて何をしていのか、その時どう思ったかを正確に覚えていられる人はそう多くない。何をして嬉しかった楽しかった落ち着いた悲しかった悔しかった死にたくなったとか、こうした変化はいずれほとんど忘れてしまう。特に言葉や文字には表せきれない気持ちの変化はより消えやすい。辛かった時どうしていたっけか?楽しい時どうしていたか?ということを思い出せるのが記録のよいところであり日記の良いところだと思う。そういう意味で、ポジティブな時もネガティブな時も、この時自分はどう思ったかの記録は地味に役に立つ。忘れたらそれっきり。状況が同じで心が軽くなったのなら、状況は同じで心が重いより良いはずだ。なのでそれを記録し明日を待つことにした。多分首が2,3すっ飛べば何も問題ないはず。多分。